失敗という言葉を、必要以上に恐れていることに気が付きました。
「失敗は成功のもとだ」と言い張って、失敗したことを認めようとしません。失敗するかもしれないことに、挑戦しようとしません。
いつも無難なところを選んで生きています。
だから、僕の人生は、いたって普通の人生です。トゲがないというか、個性がないというか、面白みがないというか。
けど、そろそろこんな人生から抜け出したいと思っています。客観的に見て、人間らしくないと思うのです。
だから、「失敗したらどうなるか」について、考えてみました。
これが分かれば、恐怖の原因を突き止めることができます。
他人から責められてしまう
真っ先に見つけたことは、「失敗したら、他人から責められてしまう」ということです。
僕は幼い頃から、ずっと野球をやって来ました。
当然、練習や試合では、失敗の嵐。
ゴロをうまく捌けない。相手が取りにくい球を投げてしまう。などなど。
その度に、監督やコーチ、チームメイトから罵声が飛んで来ました。
「なんで、そんなこともできないんだ!!」
この言葉が、とても印象に残っています。
悲しい気持ちになってしまう
そんな言葉を聞くと、人一倍、悲しい気持ちになってしまいます。
「みんなはできているのに、自分だけできない」と、自己嫌悪に苛まれます。
また、「人の期待に応えることができなかった」と、失望感を覚えることもあります。
僕は、責任感が強い人間なので、自分の失敗によって起こったことを、一手に引き受けてしまうのです。
独りぼっちになってしまう
その結果、誰にも迷惑をかけないようにと、独りぼっちになってしまうのです。
人と関わらなければ、失敗しても責められることもありません。悲しい気持ちになることもありません。
そんなことを繰り返していたら、失敗すること自体から、逃げていたようです。
自分一人で完結するようなことでも、「失敗する=独りぼっちになってしまう」という方程式が根付いてしまっているせいで、本気で挑戦することから逃げていました。
ガムシャラに頑張って、何かに取り組むことができなくなっていたのです。
だって、ガムシャラに頑張ったら、必ずどこかで失敗するから。壁にぶち当たってしまうから。
そんな状況になってしまったら、僕は独りぼっちになってしまいます。誰からも助けてもらえません。
だったら、そんな気持ちにならないように、「失敗しそうなことはやらないでおこう」と考えているわけです。
本当に、そうなるの?
ツッコミどころが満載なのは、100も承知です。
「あなたの考えって、本当にそう思っているの?」と聞かれたら、 「No」と答えることができます。
失敗したって、絶対に独りぼっちにはならない。僕には、信頼できる仲間たちがたくさんいる。失敗したら、励ましてくれたり、支えてくれる人がいる。
頭では分かってるんです。
けど、それでも、独りぼっちになってしまう気がしてなりません。
相当に、根深い何かが、僕の中に残っているのでしょう。
早くこれを抜いてしまいたい。
そして、ガムシャラに生きてみたい。
盛大に、失敗してみたい。