湘南3daysワークショップへ参加している。
今は、2日目の朝。
3日間あるうちの1日が終わっただけ、たった半日と夜の部が終わっただけ。
だけど、自分的には、かなりでっかい気付きがあって、満足感がある。
参加動機であった「言いたいことが言えない問題」の原点となった時を見つけたのだ。
幼稚園までは最強だった
まな板と言って、一人が代表して公開セッションを受けることができる。
僕は立候補しなかったが、様子を見ていて強く共感した。
なんども涙を流した。
また、その公開セッションの中で、僕自身、大きな気付きがあった。
「最強でなくなった時は、いつか?」と言う、カウンセラー役の立花岳志さんからの、クライアント役への質問によって。
僕は、自分に問うてみた。
「今は、最強か?」
「いや、違う」
「大学生の時?高校生?中学生?」
「いやいや、絶対に違う」
「じゃあ、小学生の低学年の頃は?」
「あれっ?まだ違う気がする」
「じゃあ、幼稚園の時か?」
「記憶が薄いけど、最強だった気がする」
最強でなくなった時を思い出す
自分への問いかけによって、最強だった時は、幼稚園の時だと気が付いた。
「じゃあ、なぜ最強でなくなったのか?」
当然、この疑問が湧いてくる。
何か決定的な出来事があったのか?
その答えを見つけるヒントになったのが、「小さい頃に呼ばれていた名前を呼んでもらうワーク」だ。
グループになって、みんなに僕の名前を呼んでもらった。
そしたら起こった反応は、皮膚がピリピリする感じ。どこか警戒している感じ。
この反応は、よくよく覚えのある反応だ。両親に呼ばれたら、よく皮膚がピリピリして、警戒感を高めていた。
これのキッカケは、「じゃあ、なぜ最強でなくなったのか?」という問いとイコールだった。
幼稚園頃から、父親に野球を教え込まれていたことが原因だ。
僕は、あの時から、最強ではなくなった。言いたいことが言えなくなった。
言いたいことが言えなくなった原因
なぜ野球を教え込まれていたことが、言いたいことが言えない問題の原因なのか。
それは、どうしても野球を教えてくれるのを断れなかったからだ。
野球自体は、好きなスポーツだ。近所の川で、石を投げて遊んでいたことをよく覚えているし、よく友達と公園で野球をして遊んでもいた。
ただ、父から野球を教えてもらうことは、怖かったのだ。
できなかったり失敗すると激しく怒られるし、顔も本気だし、背も大きく体格もがっしりしている。
そしてまた、父は、野球に対しての思い入れがすごく強いのだ。
僕を、どうしてもプロ野球選手に育て上げたい。自分が叶えられなかった夢を、息子に託したい。
幼いながらに、この父の想いは、ずっと伝わっていた。
だから、父の期待に応えたい。父を喜ばせたい。悲しませたくない。
そのためには、僕は歯を食いしばってでも、父の言うことを聞かなければいけない。
そう、思い込んでいたのだ。
気付き、号泣
このことに気が付いた時、僕は、自然と泣いていた。
本当は、野球をやりたくない時も、父から誘われたら断らずに練習した。
父が怖くても、嫌な顔をしないで練習した。
何度も何度も、自分の思いを飲み込んできた。
そんなことを思い出し、号泣した。
第5チャクラが、開いた感覚
一通り泣いた後は、体に変化が起きた。
ずっと詰まっていた喉が、スーッと通った気がするのだ。
湘南ワークショップへ参加する前とは、違った感覚。
もしかしたら、参加目的であった、「言いたいことが言えない問題」が、解決の方向へ向かっているのかも知れない。
そう気が付いた、1日目だった。