僕は、嫌いになった人のことを許したことがない。
何か事件があってとか、言動が気に入らなくてとかで、その人に近寄らなくなる。苦手意識が植え付けられる。会話をしなくなる。
そんなことが、ごく稀にあった。
そして、二度と仲良くなるなんてことはなかった。一度、”嫌い” と思った人のことを、”好き”と許すことをしてこなかった。
いや、出来なかった。
人を嫌いになる原因
人を嫌いになる原因の多くは、その人の言動が気に入らないからだ。
誹謗中傷をするだとか、一生懸命なことを馬鹿にするだとか、空気を読まずに目立とうとするだとか。
僕にとって、自分がやりたくないと思っていることを、普通にやっている人をみると、苦手意識が植え付けられる。
そして、気が付けば嫌いになっている。会話をしなくなっている。近づかなくなっている。
キッカケは、ある種の嫉妬のようなものかもしれない。
二度と許せない理由
苦手な人には近づかないようにしていても、偶然にも近づいてしまうことがある。
セミナーでたまたま同じテーブルに座っているとか、懇親会で近くにいただとか。
そんな具合で、久しぶりに遭遇したときでも、苦手意識がフラッシュバックされる。体が硬直して、その人に対して、全身のセンサーが向けられる。
なぜ、そうなってしまうのだろうか。どうして、その人のことを許すことができないのだろうか。
一つは、恐怖によるもの。
その人が自分の近くにいると、攻撃されるのではないかと怯えているのだ。僕の心を、グチャグチャにされる気がしてしまう。
だから、その人に対して、心を開けない。好きになれない。苦手という壁を作っておく必要がある。
久しぶりに遭遇したとしても、体がその人のことを覚えている。
だから、自動防御システムが稼働するのだ。
本当に、攻撃されるのか
大人になった自分が、恐れている自分に聞いてみた。。
「本当に、攻撃されるのか」と。そこは、「イエス」という答えが返ってくる。
けど、「攻撃に耐えられないのか」という問いに対しては、「い、いや。そんなことはないはず」「なぜなら、自分は成長したのだから」と返してきた。
そう、僕はもう身も心も大人だ。
だから、大人の対応ができる。自動防御システムがなくなったとしても、相手からの攻撃に耐えられる心を持っている。
しかも、頭だって、大人になっている。それによって、相手の気持ちに考えることができるようになった。
「その人はなぜ、そんな言動をするのか」と。
きっと、その人も、何かに対して恐怖を感じているのでしょう。その対象が、僕なのかもしれない。
そう思うと、その人のことを許せる気がしてきた。
今度会った時には、何事もなかったように、平常心で接することができそうだ。
“好き”と思えるようになったら、最高。