自己探求している中で、言葉にすることに、抵抗があることが分かってきた。
「口にしてしまうと、怒られてしまう」「口にしたところで、どうせ分かってはくれない」と言った具合に。
そしてさらに、「思ったことを口に出すと、自分が傷付いてしまう」と思い込んでいることにも気が付いた。
相手にとって嫌なことを言ってしまったら、相手が傷付き、それを知った自分も傷付いてしまう。ひどく、自分のことを責めてしまう。
「なんで、あんなこと言ったんだ」と。
本当は、お調子者なのだ
僕の本質は、お調子者だと思っている。
ふざけたことを言ったり、ツッコミを入れたりして、周囲を笑顔にする役割だ。時々、そんな本質が、ヒョコッと顔を出してくるときがある。
その時の僕の気持ちは、最高に気持ちがいい。喉の奥にフィルターを感じることなく、スイスイと言葉が出てくる。
しかし、こうなるときは、ごく稀にしかない。
デフォルトの状態では、喉の奥に、何層ものフォルターが設置されている。思ったことが簡単に出てこないように。
人を傷付け、自分を責め、苦しむ
なぜ、喉の奥にフィルターを設置しているのかというと、自分が傷付きたくないからだ。
本来のお調子者の僕は、ツッコミ上手になる。しかし、そのツッコミは、万人受けするものではない。
時々、ツッコミすぎて、相手に嫌な思いをさせてしまう。こちらは笑わせるために言っているはずなのに、本気で受け止められてしまう。深刻な顔をさせてしまう。
そうなったとき、僕は僕のことを責める。
- 「なんてことを言ってしまったのだ」
- 「調子に乗ったせいで、人を傷付けてしまったではないか」
- 「もうちょっと考えて話せよ」
- 「お前は(自分)、黙っておけ」
- 「もう2度と出てくるな」
こうして、フォルタを形成していく。調子に乗って、相手を傷付ける発言をしないように。
けど本当は、自分が傷付かないためのフィルターだ。自分で自分の心を抉らないように。嫌な思いをしなくてもいいように。
「変なことを口にしなければ、傷付くことはない。だから、黙っておこう。」そう思い込んでしまうのも、無理はない。
傷付く権利は、自分自身が握っている
頭では分かっている。
傷付く権利は、自分自身が握っているのだ。
他人によって傷付けられるのではなく、自分自身の手で傷付くことを選択しているのだ。どんなに酷いことを言ったところで、相手を傷付けることはできない。
だから、僕が調子に乗ってツッコミを入れたところで、傷付くことを選択しているのは、相手だ。僕は、相手が傷付いたことに責任は取れない。キッカケを与えてしまったかもしれないが、トドメを刺したのは相手自身だ。
キッカケを与えたのだから責任を持てと言われたとしたら、それこそ、なんの発言もできなくなってしまう。なぜなら、何がキッカケか分からないからだ。僕は、相手の心を覗き見る能力はない。
僕は僕自身を刺している
つまり、結論としてはこうだ。
僕は僕自身を刺している。相手を不快な気持ちにさせてしまったら、自動で刃が牙を剝く。そして、強固なフィルターを形成する。
相手を傷付けてしまったのは、自分だと勘違いするから。傷付いたのは相手の領域なのに、勝手に自分のせいだと思い込んでいる。すごく、傲慢だ。
けど、実際に、そう思い込んでしまっているのだ。
だから、思ったことを口にしないようにしている。自分自身が傷付きたくないから。
苦しい。苦しい。けど、傷付くよりはマシ。
そんなことを思っている。
しかし本当は、早くフィルターを取りたい。お調子者の僕でありたい。本当の自分をさらけ出したい。
もっと楽になりたい。