「刺激と反応の間には、選択の自由がある」
名著「7つの習慣」にある言葉ですが、僕は、この言葉が大好きです。
自らに選択という権利が与えられていることを知ったおかげで、反射的に怒ったり不安になったりしなくなったからです。
人生に、”自分らしさ”というスパイスが降りかかった感じです。
なので今日は、この大好きな言葉について、僕なりに語らせてください。
イライラしがちだとか不安をよく感じる人にとって、きっと役立つ言葉なので、ぜひ読んでいってくださいね。
刺激と反応の間に隙間がないと・・・
僕はちょっと前まで、刺激と反応の間に隙間がない人間でした。(いまでも隙間を作り忘れることがありますがw)
世の中を見渡してみても、どうも選択の自由を感じていない人が多いように感じます。
では実際に、隙間がない状態とはどんな状態なのでしょうか。
例えば、こんなシーンを思い浮かべてみてください。
誰かに、あなたの悪口を言われました。あなたはそれにカッときて、相手をぶん殴ってしまいました。(グサッと心に矢が刺さってしまったでも同じ意味です)
悪口を言われたことが、ここでいう「刺激」です。それに対して、ぶん殴ったことが「反応」です。
これはもう、刺激と反応がべったりくっついている状態と言えます。選択の自由という隙間が存在していません。
選択の自由とは
では一体、選択の自由とは一体どんなものなのでしょうか。
名著「7つの習慣」にはこうあります。
選択の自由の中にこそ、人間だけが授かり、人間を人間たらしめる四つの能力(自覚・想像・良心・意志)がある。
- 自覚:自分自身を客観的に見つめる能力
- 想像:現実を超えた状況を頭の中に生み出す能力
- 良心:心の奥底で善悪を区別し、自分の行動を導く原則を意識し、自分の考えと行動がその原則と一致しているかどうかを判断する能力
- 意志:他のさまざまな影響に縛られずに、自覚に基づいて行動する能力
先ほどの、悪口を言われてぶん殴ったことを例にとってみます。
もし、刺激と反応の間に、選択の自由があったとしたら、刺激が発生した時にこんなことができるはずです。
- なぜ悪口を言われたのかを考えることができます(自覚)
- もしかしたら、何かの予兆かもしれないと考えることができます(想像)
- 自分の行動規範と、悪口を言われるきっかけを照らし合わせることができます(良心)
- 悪口に対して、どんな行動が自分らしいかを選択することができます(意志)
ここに挙げたことはほんの一例ですが、選択の自由があれば、いわゆる大人の対応ができるようになります。
どうですか?カッコイイですよね!
主体的である=自分らしい
選択の自由とは、自分らしさを発揮することだと考えています。
僕がいう自分らしさとは、7つの習慣では「主体的である」と同じことです。
主体性とは、自発的に率先して行動することだけを意味するのではない。人間として、自分の人生の責任を引き受けることも意味する。
つまり、刺激と反応の間に隙間がない状態というのは、全く自分に決定権がない状態。責任を放棄している状態だと思うのです。
なぜなら、相手からの刺激に対して、そのまま反応しているだけなので。自分の意志なんて存在してませんよね。
自分らしさを発揮するためには
じゃあ、どうやったら選択の自由を行使することができるのかが気になりますよね。
僕なりの答えはこうです。
「実は隙間がない状態でも、選択の自由を行使してるのです。」
「ただ、気付いていないだけ。」
「だから、自分の行動に自覚的になりましょう。」
先ほどから、隙間がないと言っていましたが、本当は隙間があるのです。
相手に何か言われて0.00001秒後にぶん殴ったとしても、その0.00001秒の間に選択をしているのです。
ただ、自分が選択をしたと気が付いていないだけなのです。
そのため、まずできることは、行動を自覚することです。
後から振り返るとかでもいいです。
「あの時に、ぶん殴ってしまったけど、もっと別の方法があっただろうな」とか「なぜぶん殴ってしまったのだろう?」とか。
そうすると、自分が反応した理由が見えてきます。
その中に、自分らしさが隠れているのです。イラっとした原因だとか、不安に感じてしまった要因が潜んでいるのです。
そして、これらの潜んでいるものを明らかにしていくと、刺激と反応の間にある選択の自由が大きくなっていきます。
選択の幅が広がっていくので、より自分らしい自由な人生へと変わっていくのです。
なんとなく、イメージが付きますか?
僕はこうして、自分らしさを取り戻していきました。
なので、あなたにも絶対にできます。
もし1人では難しかったら、Points of Youを使ったコーチングを行なっているので、お問い合わせくださいね。